昭和46年8月、名古屋の琴城流初代家元鈴木琴城写真1が鈴木楽器の工場(浜松市)を訪れ、鈴木萬司写真2に語りかけました。「最近、名古屋市内の百貨店で鈴木大正琴を見たがなかなか良くできている。さらに、いくつかのアイディアを私は持っているので試作してほしい‥。」鈴木萬司は「承知しました。あなたのアイディアを入れた大正琴を作りましょう。」と即答しました。二人は意気投合、琴城流大正琴振興会の前身である【鈴木大正琴愛好会】が設立されました。鈴木萬司は昭和40年より古賀政男先生の大正琴の生産にも関与していました。この大正琴の最大の特徴はギター式糸巻きの採用にあり、今日の大正琴の原形となるものでした。この画期的な改良を行なった鈴木萬司について『花の大正琴』『大正琴一代』(東京新聞出版局発行)の著者小橋博史は「大正元年森田吾郎が大正琴を作り、第二次世界大戦以後、鈴木萬司がエレクトロニクスを駆使し新しい大正琴の音を作り、普及した。鈴木萬司は一大革命を起こした一人だと思っている。森田吾郎と鈴木萬司、その中間にいたのが鈴木琴城だったと理解している」と語っています。 鈴木萬司と鈴木琴城の運命的出会いにより、全国に大正琴教室が一気に広がりました。大正琴の音色は日本人の琴線に触れるものがあり、日本人が作り出した数少ない楽器として多くの愛好者から親しみと共感を得ながら大きく発展しました。琴城流は最初に全国に大正琴教室を展開した伝統ある流派として、その実績は高く評価されています。 |
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昭和60年、大正琴誕生の地大須観音境内に初代家元と鈴木萬司会長の協力のもとに森田吾郎の偉業を称え大正琴発祥の地碑を建立写真3、毎年9月9日を【大正琴の日】と定め奉納演奏会を開催しています。大正琴発祥の地碑建立の2年後、昭和62年初代家元は享年72歳で帰らぬ人となり、翌年の昭和63年に二代目が家元写真4を継承しました。 | |
時を同じくして鈴木大正琴愛好会は【琴城流大正琴振興会】へと改組、鈴木萬司の持論である“組織は社会のもの、会員のものでなくてはならない、そのためには、鈴木の名前を取り外したい”ということで琴城流大正琴振興会の現名称となりました。 | |
令和2年8月21日、長きにわたって琴城流大正琴振興会の会長として琴城流大正琴及び大正琴文化の普及発展に努めてきた鈴木萬司が享年97歳で帰らぬ人となりました。 故鈴木萬司の遺志を引き継ぎ、琴城流大正琴振興会事務局長、鈴木楽器製作所取締役社長である鈴木禮子写真5が、二代目家元の推薦を受け、琴城流大正琴振興会会長に就任しました。 |
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令和4年9月26日、二代目家元は享年75歳で帰らぬ人となり、令和6年に三代目が家元写真6を継承し、今日に至っています。 |
“誰でもやさしく楽しく弾ける”を基本理念として、段階を追って無理なく上達できるカリキュラムをご用意していますので、未経験者でも安心して入会できます。教本、曲集、音源を豊富に取り揃え、更には、お稽古継続の励みにもなる資格制度も完備しています。資格審査に合格すると名取名を取得して大舞台でお披露目をしたり、多種のイベントに参加することができます。 |
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